シングル スマイル

目指すのはジャンガリアンな生き様

カブトムシと僕

子供を連れて、昆虫博物館に出掛けた。
「うわっ!デカいカブトムシが居る!」
ヘラクレスオオカブトだ!」
ムシキングの影響はすさまじくて、娘でもカブトムシの名前を知ってる。その舶来カブトムシ、実際に生きているもので、もの珍しく飼育ケースを覗き込んでいたら、館長とおぼしき男性が話し掛けてきた。虫にまつわる色々な話の中で、カブトムシの口の話が出た。
「カブトムシの成虫には口が無いんですよ。それは、長生きする必要が無いからです。」
成虫になる目的はただ1つ、子孫を残す為であり、交尾をした後はもう息絶えても構わない。それは当たり前の事なんだけれど、改めて言われると衝撃的だった。成虫になってからの寿命は、カブトムシだと数週間、セミで3、4日、カゲロウなら半日ほど。それは人の目から見るとあまりに短い時間で儚く思えるけれど、でも虫にとっては必要にして充分な期間なのかもしれない。
それじゃ、人はどうしてこうも長い間行き続けるんだろう。もちろん、人は虫じゃないから交尾をしたらそれでお終いという訳にはいかず(なかにはそういう人も居るだろうけど)、子を産み、独り立ちするまで育てる必要がある。それにしても、30才までに子を産み、子供が20才で成人するならば、人の寿命は50才で充分という事になる。
子供を育て上げる事だけが生きている理由ではないし、子供が成人したら生きている意味が無いとも思わないけれど、でも、僕は老後の面倒を見てもらう為に子供を育てている訳ではないし、この矛盾だらけの社会を背負わせる為でもない。多分、それはこの世に僕が生きた証を残したいという本能的なもの。
「大抵長生きするものは、じっとして動かないんですよ。活発に動き回るものは、死ぬのも早いです。」
僕はもう、土の中から這い出したカブトムシだ。定年を迎え、子供も成人し、これからは第2の人生だ、なんて、そんな悠長なこと考えたくもない。50になった時に、もう何も思い残すことが無いくらいの生き方をしたいと思う。