シングル スマイル

目指すのはジャンガリアンな生き様

 意義

小説にしろ映画にしろ、何故そうまでして恋愛感を求めてしまうのかずっと考えていたんだけど、ずっとといっても四六時中考えてた訳じゃなくて、ふとした合間に僕がそういう物をそこまで求めるのは何か理由が有るはずだと、ただ漠然とその理由が何なのか考えていたんだけれど、それが何となく分かった気がした。多分、必要とされたいんだと思う。何も僕は周りから不要と思われてる訳じゃない(と思う)けれど、ただ利便性の為だけではなく、僕でなければならないという僕自身の存在を強く認められたいんだと思う。
恋愛は当の2人の間で成り立つもので、2人とは限らず3人や4人の場合も有るだろうけど突き詰めてシンプルに考えれば単純に2人の人間の関わり合いで、その関係の中では一番になれる。平凡で何の取柄も無い、街ですれ違っても誰一人気にも留めない人であっても、「世界であなたが1番です。」と、思ってもらえる(かもしれない)。誰かに必要とされること。誰かに望まれること。誰かに求められること。誰かに頼りにされること。誰かに支えられること。誰かに甘え、甘えられること。つまり、誰かに愛されること。結局それが、今この世界に生きているっていう実感になるんじゃないかと思う。そんな感情を受けることで、この世界に生きている意義を見出している様な気がする。ありがちな「僕は君に逢う為に生まれてきたんだ。」なんていうセリフは、その典型的な例だ。
この世界に生きている理由なんてそんな事だけじゃなくて、社会人としての存在意義だとか、父親としての存在意義だとか、夫としての存在意義だとか、他にも色々有るだろうけど、ただそれ以上にそれが一時的な気の迷いとか、刹那的な感情だとか、フィクションの世界に感情移入しているだけであったとしても、心の奥底に強烈なインパクトを与え、「僕は此処に居るべきなんだ」という生存意義を与えているんじゃないかと思う。
何だか文章にするととても臭いんですが、でも人の根底にあるものってそんなものだと思う。