シングル スマイル

目指すのはジャンガリアンな生き様

 両親

フィギュアスケートの世界選手権が盛り上がっているから、と言う訳ではありませんが、近所の子供達とスケートをしに出掛けました。子供達は日頃からインラインスケートで遊んでいるので、手取り足取り教えなくても1人で滑っています。僕はといえばかれこれ20年ぶり位だけれど、一応転ばない程度には滑ることが出来て、1人では少々危なっかしい次女の後ろをかばいながら滑っていました。そこへ一緒に来た小学3年生くらいの男の子が構って欲しそうにウロウロと来るのですが、次女を1人放ってもおけないし、男の子なんだから1人でも滑れるだろうに、と素っ気無くしてしまいました。男の子にはお父さんが居なくて、大人の男の人と遊びたかったんじゃないか、と奥さんから聞いたのは帰宅後でした。
最近はバイクやギター、小説、時にギャルゲーなどにかまけていますが、子供とはなるべく接するようにしているつもりだし、子供がもう少し小さい頃は自分の事は二の次にして極力子供を優先してきたつもりです。それは仕事上時間に余裕が有ったからでもあるし、僕が強く望んだ子供だから精一杯の愛情を注ぎたかったというのも有るのですが、周りを見てもそこまで積極的に我が子と接しようとする(接することが出来る)父親はそう居なかったように思います。だから自分の子供と一緒に他の子供も高い高いしたり、グルグル回したり、バイクに乗せてあでたりして、子供たちもお母さんとは違う大人の男の人と遊んでもらえて楽しそうだったのですが、ふと、果たしてそれが子供の為にしている事なのか自信が持てなくなりました。子供を喜ばせたいからではなく、「Kさんちの旦那さんは良いお父さん」という印象を周りに与えたかっただけじゃないのか、と。よそでどんなに楽しくても、子供はやっぱり自分のお父さんが一番です。自分のお父さんが一番好きなのです。本当は自分のお父さんと思い切り遊ぶのが一番楽しいはずなのです。良い人ぶってそこに僕が割って入るのは躊躇われるのです。
だけど、どんな理由にせよ、その時子供たちが楽しいのなら遊んであげるべきなのでしょう。父親ぶったり、良い人ぶったりするつもりはありませんが、お父さんが居ないのなら尚更一杯遊んであげれば良かったととても後悔しました。
今は離婚も珍しくはありませんし、片親の家庭も珍しくありません。両親が子供たちの前でいがみ合いながら暮らしていくよりも、片親でも穏やかに暮らす方が幸せでしょう。だけど、本当はお父さんとお母さんが仲良く一緒に居てくれることが子供には一番幸せなんだろうなぁ。