シングル スマイル

目指すのはジャンガリアンな生き様

 補完

仕事をしながら思うのは、大人の社会もいい加減なものだなぁ、ということ。「誰かがやるだろう」と思う事は結局誰もやりません。使った道具は返さなくて、使った材料はそのままで、掃除も片付けも出来ません。会社でやらない事を家庭でやるはずもないでしょうから、子供に「片付けなさい。」「勉強しなさい。」なんて言ったって「オヤジうぜぇ」って思われるだけで説得力有りませんよね。誰かがやれば良い事はやらなくて、自分がやるべき事もやらなくて、それでも仕事が回っていってしまうんだからまるで共産主義社会みたいで、世の中はやらない者勝ち、言ったもの勝ちなんだなぁ。
かといって、世の中の全ての人がいい加減では社会が成り立たない訳で、そういういい加減さ、理不尽さを知りながらも頑張らざるを得ない人も居るのだと思います。で、多分そういう頑張らざるを得ない人が鬱になるんだと思います。理論的で、几帳面で、責任感の強い人が鬱になりやすい様です。それらの項目を見ると、世間一般的には、まっとうでしっかりとしたまともな人、つまり良い人って事じゃないかと思えます。鬱になる人は良い人なのでしょう。鬱の要因は人間関係が最たるものでしょうから、要はいい加減で、ちゃらんぽらんで、自己中心的で、無責任な人のお陰で、世の中の良い人が鬱になってるって事です。鬱の人が増えるということは、良い人が世の中から駆逐されているという事です。それらをいち早く察知して他人との関わりを遮断して自己防衛しているのがニートという訳です。
例を挙げるとすれば、エヴァンゲリオンのシンジ君。極端に他者との関わりを拒絶する、いわゆる引きこもり君です。彼は最終的には煩わしいはずの他者との関わりを選択するのですが、あれは彼の周りが比較的まともな人間だったからで、もし周りの人がいい加減でちゃらんぽらんで自己中心的で無責任な人達ばかりだったなら、結末は変わっていたかもしれません。よりシビアな状況をかもしだしているのが「ぼくらの」で、少年少女は正に命がけで世界を救う為に戦っているのに世間からはバッシングされる訳です。一般的に正しいとされる事を行っているのに圧力が掛るのなら、「もういいや」って引きこもるか、心を傷めて鬱になるしかありません。
つまり鬱になる人は良い人です。一般的に悪い人の範疇に入る人は鬱にはなりません。鬱が蔓延する今の状況を放置するのは社会にとって好ましい事ではありません。日本にとって由々しき事態です。国を挙げて鬱病患者を救済していかなければなりません。国家プロジェクトです。いい人補完計画です。鬱の人には総力を挙げて優しくしましょう。え?君、鬱なのかい?それはいけない。ゆっくり休んでくれたまえ。てな感じで沢山有給休暇をくれると良いと思います。つまり、僕は鬱っぽいので多分良い人のはずなので、みんな優しくしてくれると良いと思いますよ。