シングル スマイル

目指すのはジャンガリアンな生き様

 プロ

毎度の事ながら、大晦日まで仕事。今年の後半は仕事の事でうんざりして鬱気味だったけど(仕事自体が嫌なのではなく、会社や職場の考え方と僕自身の考え方にズレができた、つまり職場環境に嫌気が差した)、この年末の仕事は特別嫌じゃないです。主に1人で作業する事が多く、誰にも邪魔される事無く時間目一杯に作業出来るという事は、それだけ質の高い良い仕事が出来るから。
juzoさんとこに消防車の操作パネルの画像があって、その手入れが行き届いた操作パネルからプロ意識を汲み取ってました。過酷な職業だと「プロ」というイメージが強いですが何もそれだけがプロという訳ではなくて、デザインの仕事も凄いプロフェッショナルな職業だし、サービス業もまたそうで、つまりお金を貰うからには全ての職業はプロであるはずなんだけど、じゃあプロって何なんだろう?って考えた時に昔読んだ「プロの心得○ヶ条」とかいうのを思い出しました。何処で読んだのか、自分で読んだのか誰かに読まされたのか、5ヶ条なのか10ヶ条なのかも覚えていないのですが、ただ1つだけ「プロとは成果によって対価を得るものである」という項目だけは覚えています。
まぁ、当たり前といえば当たり前なのですが、サラリーマンの場合は特に成果を意識しなくても給料が貰えてしまうので、より良い成果をあげようとする気になり難いというのはあります。最近は成果に応じて給料も増減される様ですが、成果とは必ずしも目に見えるもの、すぐに成果が出るものばかりではないし、成果に比例して給料が上がるわけでもありません(そういう職場も有るでしょうが)。だから給料の事だけを考えれば、必ずしも良い仕事=高給という事にはなりません。僕の仕事は設備のメンテナンスですが、これも傍から見ると何やってんだかサッパリ分からなくて、だから良い仕事かどうかなんて恐らく誰も分からないでしょう。
それでも僕は良い仕事がしたい。良い仕事とは、的確で、無駄が無くて、合理的で、機能的で、隅々まで気を配られた美しい作業を短時間に行う事。単に同じ作業をするだけならそこまで細かくやる必要は有りませんが、その一手間を加える事で後々起こり得る厄介な事象を未然に防げるのであれば、多少面倒でも時間が余計に掛っても手間を惜しむべきでは有りません。僕は、自分が修理した個所が短時間で再び壊れるのは我慢なりません。再び壊れても責められる訳でもなく「壊れやすい場所」と思われるだけですが、それでも僕は給料を貰って修理してる訳ですから、プロとしてのプライドがあります。すぐに壊れてしまっても構わないなら僕がやる必要はありません。僕がやるからには素人と同じ事をやっていては許されないはずです。僕が特別なんじゃなくて、みんなが僕と同じ様に考えていると思っていたのに、少なくともこういう仕事に携わっている人はそうであると思っていたんだけど、世の中そうでもなかったみたいで、それはプロのやる仕事じゃないだろう、ってのを目の当たりにする度にガッカリします。
壊れないって事は正常な事で、正常な状態は誰も気にも留めないから僕の仕事が誰かに評価される機会も少ないでしょう。結局僕の仕事の成果は、数年後に僕自身が下す事になると思います。僕が再び同じ作業をする時に。それでも僕は良い仕事がしたい。素人の目は誤魔化せても、僕自身の目は誤魔化せません。もっと良い仕事がしたい。もっともっと良い仕事が出来るようになりたい。上の環境を見ればキリが無いし、ハイレベルな同僚が居れば良いのに、僕が3人居たら良いのにって本気で思うけど、無理な事をいくら考えても仕方が無いから、だから僕はこれから僕の出来る事を1つづつこなしていこうと思う。