シングル スマイル

目指すのはジャンガリアンな生き様

 燃え尽き感




燃え尽きてしまった感。

冬の霊仙山。
冬の竜ヶ岳。
冬の御池岳。
冬の能郷白山。
冬の伊吹山
冬の冠山。

時に激しく、時にハードで、でもどれも感動的だった。
これ以上の山行が何処で得られるんだろう。
やり尽した感。

僕は3年ほど前から本格的に山登りを始めた。それまでも興味は有ったけど、実際に踏み出す勇気が無かった。同時期に始めた人に後押しされたから自信が出来た。
思えば僕はずっとその人を追い掛けてたんだ。ハードな山行を繰り返すのも、その人に追いつきたかったからだ。だけど、いくら歩いてもその人はもっと先を歩いてる。距離とか高さとか数とかそういう事じゃなく、精神的に。
僕は今までそこそこ歩いて来た。日帰りでこなせる範囲を遥かに越えるだけの行程を歩いて来た。でも、それは「必ず歩ける」という確信が有ったからだ。この時期に、これだけの行程なら、この程度の時間で歩けるだろうという確信が有ったし、無理な行程なら引き返したりショートカットする事も含めて考えてた。だからいくらハードな山行でも、それはただ単に自分が出来るだけ歩くだけで良かったし、「日帰り」という大きな制約も有った。

でも、その人はちょっと違った。自分でどんどん決めて登ってしまう。しょっぱなから数泊する縦走も自分で計画を立てて行ってしまう。そりゃ僕も自分で計画して登るけど、その行動力は僕とは明らかに違った。
僕が一生掛かっても歩けるかどうかっていう山々を、あっという間に踏破してしまった。独身であるとか充分な給料が有るという訳でもないのに、家族を説得して登ってしまう。そこには「自分は登るんだ」という真っ直ぐで強い意思が有る。
センスも違う。山登りのセンスじゃない。感覚的なセンス。だから僕には思いもよらない山に目をつけたり、思いもよらない事をやったりした。それは僕1人では絶対に得られなかった事で、多大な影響を受けた。

僕は今年も相変わらず山に登るだろう。去年登って良かった所をなぞったり、そこから広げたりするだろう。でも、あの思いもよらない山行はもう無いかもしれない。

結局僕はその人には追いつけなかった。
燃え尽きた感。
今まで精神的に頼っていたのかもしれない。
でも、僕も1人で歩ける様にならないと。