シングル スマイル

目指すのはジャンガリアンな生き様

最適解

修理を終えてデスクに戻ると、スマホがブルブル震えていた。ブルブルと震え続けている。メールやLINEではなく、電話だ。会社の携帯は頻繁に鳴るくせに、僕個人の携帯が鳴る事は滅多にない。電話を取ると、中学校からだった。

下の娘が腹痛の為保健室で休んでいるらしい。戻したりしたので、このまま学校で授業を受けるのは難しい。迎えに来て欲しいとの事。奥さんは用事で出掛けていて、電話に出れない状況だから電源を切ってた(と後から聞いた)。10時から会議が1件有ったけど、まぁ良いや。仕事などどうでも良いっていう訳じゃない。ただ普段から人一倍仕事している(つもりだ)から、こんな時くらい抜けたって構わないだろうという意味で。「子供が具合悪いので帰ります。」と上司に告げて、学校に向かった。

保健室に迎えに行くと、少し良くなったらしく、よぼよぼと歩いてついてきた。自宅に戻って保険証を持って、念のため医者に連れていく。名前を呼ばれて診察室に入る際に「パパも一緒の方が良い?」と尋ねると、うなづくので僕も診察室に入った。診察で聴診器を当てたりする為にお腹を出したりするから、年頃の娘と一緒に診察室に入るのはやめた方が良かったと思ったけど遅かった。「異常無さそうなので、様子を見てください」と言われて、念のため薬を受け取る。

「食事は消化の良い物、例えばうどんとか」と先生に言われたので、じゃあうどん食べに行こうか。丁度長女もテストで昼前に帰って来るというので、LINEでお昼一緒にうどん食べる?って尋ねたら「行きたい」というので拾ってうどん屋さんへ。

別に、何でもない。子供を迎えに行って、一緒にお昼食べた。ただそれだけ。ただ、その何でもない日常の1つの出来事でも、それは子供にとって大事な事だし、僕にとっても大事な事なんだと思う。思い出してみて欲しい。自分が子供だった頃、親の事で思い出すのは旅行とかお祝い事とかそんな非日常的な事ばかりではなく、大した事ない日常的な1コマじゃなかったかな。日常の些細な1つ1つの積み重ねの結果が「父さんが来てくれたらもう大丈夫だ」っていう信頼なんだと思うし、「父さんなんか来なくていい。」よりは「父さん迎えに来て。」の方が良い。

高校生になる長女はさすがに少し僕と距離を取りつつある感じがするけど、それは思春期の娘なら当然だろうし、僕も子供の頃は母親とベタベタするのは嫌悪感が有った。だから必要以上に絡まない様にしてる。それでも時々二人で買い物(子供の)行ったり、ご飯食べたり出掛けたりはしている。それは、財布と足 > 嫌悪感 なのかもしれなんだけど。

僕は少し甘いのかもしれない。と思いつつも、娘だとどうしても甘めになるのは仕方がないのかもしれない。それでも子供たちは優しく素直に育ってくれているのは有難い。素直過ぎて大丈夫だろうか?とか、素直で居なければいけないという強迫観念に縛られていないか?とか、心配もあるけど、そんな心配をよそに大人になっていくんだろう。

僕の子育てが正しかったのか、もっと何とかするべき所が有ったのか、それはいまだに分からない。子育てなんて、誰にも分からない。子供は一人ひとり違うし、親もまた違うし、数学の様に明快な解答が有る訳じゃない。子育て評論家の意見が必ずしも正しく、自分や自分の子供に当てはまるかどうかも分からない。だからみんな悩みながら、模索しながら、時には間違えながら、子供を育てているんじゃないのか。その人それぞれの最適解を探しながら。