こっそり書いているブログを特定されるのイヤだな、という昨日の続き。ブログに書くほどの事でもないんだけど、良い機会なので少し。
リアルで友達少ないから承認される為にネットへ、というのは間違いではないんだけど、それが全てでもなく、僕は特に認められたいとも思ってはいない。そりゃ反論されるよりは同意された方が気持ちは良い。でも、違う意見、価値観が有るから自分が思いもしなかった新しい発見や面白い事が分かったりもするでしょ。要はいろんな議論が出来たら良いなと思うんだけど、これがなかなか難しい、リアルでもネットでもなかなか議論にならない。
切実に怖いなと思ったのは、先日見たとあるツイッター関連の炎上記事を見てから。ニュースになるほど大きく取り上げられる事も無かったけど、そこそこ話題になっていて、これが感情論ばかりで議論にならない。詳しい内容はここでは書かないけど、内容を精査すればどっちもどっちというか、どちらももう少しだけ上手く立ち回ればそこら辺で日常茶飯事に起きているありきたりな事で済んだんだけど、どちらも少しだけ立ち回りがヘタだったものだから炎上してしまった。だけど、みんな加害者を叩く。詳しく内容を確認する事もなく、アップされている事が真実であるとは限らないのに、ただツイッターに出てくる極めて短い他の感情論に同調して叩く。悪者を叩くのは正義であると疑いもせず。極僅かに議論しようとする人も居るんだけど、膨大な数の感情論にかき消されてしまう。
怖いなぁ。それが正しい情報なのか、それが理論的な見地であるのかなどみんな関係ないんだ。ただ自分の感情が正しい、悪いのはアイツだ、と決めつけて、叩く事が絶対正義になる。反論にはさらに感情的になって反論し返す。なるほど、炎上とはこうやって起きるものなんだ。それは誰も幸せにならない正義なのに、自分の意見を否定されると物凄く不愉快で、もはや記事の当事者の事など関係なくただ自分の意見が正しいという事に固執していく。これがもし自分が当事者になったら、たまったものじゃない。いくら理論的に説明しても逃れられない。もうネット上から消えるしかない。
僕は理論的な話をする人が好きで、例えばロボット工学の石黒教授とか、ほんまでっかの池田教授のトークなどはとても興味深いし面白いと思う。また、仕事上理論的に思考しないと仕事が進まないから、常に物事を理論的に考察する様にしてる。でも、もちろんそれだけではないと思ってる。理論的に議論出来るのはとても面白い。でも、理論的じゃない意見も当然有って、それは理論的な議論では出てこない発想につながっていくかもしれない。例えば山登りをするにあたり自分が何故その山に登るのか明確な理由を持っている人も居るだろうし、今日は何となくここに登りたい気分、っていう人も居るだろうし、それこそ趣味やプライベートな物事などは全てにおいて理論的である必要もないと思うし、むしろ全てが予定調和だとしたらそれはつまらないものになってしまう。仕事を感情や気分でやられると、ちょっと困るけど。
そんな多種多様性を手軽に感じられるネットは素晴らしいと思う。でもあまりにも感情に流されて自分が絶対と思っている人も多くて、ほんと使い方次第だと思う今日この頃。