シングル スマイル

目指すのはジャンガリアンな生き様

卒業

 

 

 

先週は上の子供の、今週は下の子供の卒業式に行ってきた。大きくなると卒業式も入学式も平日なのよね。お父さん、大変なのよね。それでも、仕事を休んで行ってきたんだよね。 子供の成長を見届けるという意味も有るかもしれない。パパもちゃんと子供見てますよ的なアピールも有るかもしれない。それよりは、子供にちゃんと「自分は家族から愛され見守られている」という実感を与えたかったんだと思う。

 下の子が両親に宛てた手紙(学校で書かされた)には、自分の至らなさを詫びる様な事が書いてあった。ちゃんと認めているつもりなんだけど、伝えきれていないのかな。少しがっかりした。上の子供の卒業式で、校長が「自分は価値が有る人間か?というアンケートに対し、アメリアの高校生は50%がYESと答えたが日本の高校生は8%しか居なかった」という事を話していた。本当はね、そうじゃないよね。生きているだけで価値が有るんだよ。元気に笑っているだけで。

「いつ宿題やるの?」「後で」の返しが上手すぎる、という件が数日前に話題になっていた。

temita.jp

 素晴らしい返しだと思うんだけど、こういうのって誰にでも出来る事ではないし、どんな子供にも通用するものでもないんだよ。子供はみんなそれぞれ違う。兄弟、姉妹でも違う。他人の子供とは尚更違う。結局は、ちゃんと子供と向き合うしか無いんだよね。これは以前、トトロのお父さんのセリフでも書いたけど、いくら上手い事言ったって本心が伴わなければ子供には見透かされてしまう。子供と二人きりになった時に、軽く話しておいた。大丈夫だよ、と。言い過ぎるとクドいし、言い足りないと伝わらない。親なんて子供からすればいつもうっとおしいものだけど、難しい。

僕はちゃんと子供たちと向き合えているのかな。不安にさせたり、がっかりさせたり、絶望させたりしていないかな。これから先、大人になると楽しい事も沢山有るって希望を与えられているだろうか。先生や来賓の祝辞で、「これから先、沢山の苦労が有るだろうけど」って言うんだけど、大抵の事は美味しい物腹一杯食べてぐっすり眠れば何とかなるもんだよ。世の中は生きているだけでハッピーなんだよ。そう言ってハグして安心させてあげたいんだけど、年頃の娘を抱き締める訳にもいかず、遠巻きに見守るしかなかった。上の子供は高校を卒業する様な歳だから、さすがにお父さんが来て喜ぶ様な感じではなくて、でも邪険にも出来ず何とも落ち着かない微妙な心持ちだったんじゃないかと思う。本当はクラスメートとバカ騒ぎしたいんじゃないかと。それでも嫌がらずに家族で写真を撮らせてくれたりして、こうなるともう子供の為に行ってるのか自己満足の為に行ってるのか良く分からなくなってくる。それでも、子供がもっと歳を重ねた時に何となく「あぁ、ちゃんと家族に愛されていたんだ」って理解してくれたら嬉しい。そう思うのも、所詮は自己満足なのかもしれない。