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目指すのはジャンガリアンな生き様

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 50歳になった。自分で掲げたゴールテープを切った。30、40歳の時はあんまり実年齢の実感が無かったけど、この「死ぬ死ぬ詐欺」のお陰で50歳の実感は強く有る。正に今、僕は50だ。

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「アンタはやれば出来るのに」と、子供の頃よく親に言われた。家では勉強しないのに、そこそこ成績は良かったからだ。そもそも、中学校くらいまでは授業を聞いていれば分かる。それが高校やその先になると通用しなくなってくる。「まだ本気出していないだけ」と思っていたのが、実は本気を出す(継続して努力し続ける)事が出来るのも1つの才能だと気づいたのは随分と後になってからだ。僕は凡人で、特に秀でた才能は無い。「やれば出来る」のではなくて「やる事すら出来ない」。それでも、自分が好きな事、興味が有る事なら少しは本気が出せるのではないか?自分はどんな事を、どれ位出来るんだろうか?という事を知りたいと思った。

 


退屈なのは する事が無いからじゃなく

何をしても先が見えてしまうから

という歌が有った。大人になり、ある程度の知識と経験を得ると、おおよその結果が予想出来てしまう。ネットで膨大な情報を簡単に検索出来る事も拍車を掛ける。金も時間も限りが有るから、実際に行動を起こす前に想像してやめてしまう。取捨選択は必要だ。でも、考え過ぎてスタートする前からゴールした気になるのは良くない。ただでさえ面倒くさがりで人見知りで腰が重い僕は、何か思い立っても何だかんだ言い訳をして結局何もしない。だから50で死ぬという目標を掲げて生活してきた。


50になった。一旦死ぬ時だ。振り返って見て充足した人生を送れたか?と考えたら、割と満足出来そうだ。まだ欲しい物とかやりたい事とか色々有るけれど、概ね満足してる。どうしたら死ぬ時に後悔しないか、と考えた時に、それはどれだけ自分が物や経験を得たかではなく、どれだけ周りの人に深く強く影響を与えたか、なのかもしれない。知人友人、伴侶や子供は当然含まれるだろうけど、地位や名誉も「周りの人にどれだけ影響を与えているか」とも言える。僕は地位や名誉は要らない。沢山の人に影響を与えたいとも思わない。極限られた人で良いから、深く強く影響を与えられたなら良いと思う。出来れば良い影響を。結婚し、子供を育てた今、それはかなり果たされた。家族がどう思っているかは知らないけれど、みんなリビングでごろごろ出来るんだからそう悪くはないんだと思う。


それでは、一旦ゴールを切った今、これからどう目標を設定し直していくべきか。次のゴールは60歳にしよう。55では近過ぎるし、60なら「まだ若いのに」と言われつつも死んでも特別驚く程でもなく過度に惜しまれるほど若くはないし、つまり死んでも全然不思議じゃない年齢だ。あと10年で何をやるか。時々僕は考えてる。

僕が今思い浮かぶのは、「四国八十八ヵ所巡りをしたい」という事くらいだろうか。別に登山やツーリング、サイクリングでも構わないんだけど、それらは今やっている事の延長だ。宗教とか哲学とかそういうものはいつの時代も変わらず高尚な先人達により考えられてきた事で、生き方に答えは無くともストイックに突き詰めてみるのは面白いかと思う。ならば霊山を巡るのも面白いかもしれない。

他にも何か思い立つかもしれないけれど、どうせやるなら今までの知識や経験が役に立たない様な物事の方が良い。僕が今までの経験上一番やって良かったのは一輪車だ。一輪車に乗った事が無い人は、一輪車に乗った感覚は想像出来ないだろう。大の大人が想像出来ない事を体験出来るというのは非常に貴重だ。しかもさほど金も掛からず危険も少ない。大人になってからやるには精神的なハードルが高いけど(特異な目で見られる)、それも含めてお勧めしたい。他人の目が気になって止めてしまう様では、まだまだ若輩者だという事だ。

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