シングル スマイル

目指すのはジャンガリアンな生き様

父さんのコロナ

 

 

まず前置きとして、ここで言及する「コロナ」は、新型コロナウイルス感染症(COVID‑19)の事ではなくトヨタの大衆車の「コロナ」です。

 

 

実家のマイカーはコロナだった。両親ももう高齢だし夫婦でしか乗る機会が無いので、今は軽自動車に替えてしまったけど、それまではコロナだった。

一番最初のコロナは6代目 T130型の中古車だった。角目4灯のフロントマスクで、僕が車の免許を取った頃でも乗っていたので運転させてもらった事がある。4速マニュアルでハンドルは重ステ(パワステレス)だった。スピードメーターが横長のアナログで、今でこそレトロ感が有るけど当時は随分と古臭い型遅れの車だった。

次は9代目 T170型の新車だった。グレードは多分低くて1500ccだったと思う。上まで良く回るけどトルクが無いエンジンだった。この車で家族で運転を交代しながら鹿児島まで走った事がある。トルクが無いので高速クルージングは快適とは言えなかった。

次はプレミオ T24#型の新車だった。このモデルから「コロナ」のネーミングではなくなった。トランクで車両後端が分かり難いという以外、何の印象も残らない車だった。何の印象も無いというのは、ある意味そつが無くて良いのかもしれない。丁寧に乗っていたけど、10年以上経過したし、二人しか乗らなくて勿体ないので軽自動車に替えた。

 

何故「コロナ」なのか分からなかった。僕はホンダ・インテグラとか、スバル・アルシオーネとか、スズキ・エスクードとか乗って欲しかったけど、頑なにコロナだった。プレミオに至ってはもうマイカー=セダンという時代でもなかったし、何でそれを選ぶのか理解出来なかった。父さんが買う車なので口は出さなかったけど。

今思えば、それは父さんの拘りだったんだろう。「車=セダン」という価値観の年代であり、金銭的に許せばもっと上級のセダンを選んでいたかもしれない。でも、家庭を支えながら手が届き納得出来る車がコロナだったんだろう。当時は他の車種、他のメーカーでもセダンはそれなりに選べたんだけど、コロナ以外ではダメだったんだ。

僕の車の嗜好は、小さくて軽くて凝縮感の有るデザインで運転が楽しい車。そういう僕の価値観で選んだ車は、自分自身ではとても気に入っているけど家族から見れば多分「なんでやねん」という評価なんだろう。運転して楽しい車=乗せてもらって楽しい車ではない。狭いし、快適でもないし、豪華でもない。

ただ、それが僕の拘りであって、譲れない条件だった。それを外れると、運転していてもとてもつまらなくて満足感が得られない。車に愛着が持てないだけでなく、自分のアイデンティティが損なわれる感じがする。父さんがプレミオを手放した時、そんな喪失感を感じていたかもしれない。

うちの子供たちは免許を取ったものの車にも運転にもさほど興味が無い。価値観は人によって変わるものだし、時代によっても変わっていく。僕の車に対する価値観や固執は、子供たちには理解出来ないだろう。子供たちが車に興味が無いというのは、偏屈な車を好き好んで選ぶ僕にとっては批判が出なくて丁度良いのかもしれない。とてつもなく偏屈な車というのはネタとしては面白いけど、身内が乗るとなると迷惑でしかないからだ。

いつか、「父さんって狭くて変な車ばかり乗ってたよね」って笑い話にでもしてくれたら良い。