玄武書房に勤める馬締光也。営業部では変人として持て余されていたが、人とは違う視点で言葉を捉える馬締は、辞書編集部に迎えられる。新しい辞書『大渡海』を編む仲間として。定年間近のベテラン編集者、日本語研究に人生を捧げる老学者、徐々に辞書に愛情を持ち始めるチャラ男、そして出会った運命の女性。個性的な面々の中で、馬締は辞書の世界に没頭する。言葉という絆を得て、彼らの人生が優しく編み上げられていく―。しかし、問題が山積みの辞書編集部。果たして『大渡海』は完成するのか―。
★★★★☆
レビュー
随分前に発行された小説で既に映画化もされている。冴えない地味なサラリーマンが辞書を編集していく、という地味な内容で、しかも恐らく「辞書が完成して終わり」だろうと結末も読めてしまうのに一体何が面白いんだろう? と懐疑的だったんだけど読んでみると面白かった。
辞書の編集作業の描写は緻密で、よほど綿密な取材や情報収集を行ったんだろう。リアルだ(リアルな辞書編集なんて知らないけど説得力が有る)。で、延々と辞書編集作業の描写では地味過ぎるので、主人公を取り巻く人間関係の描写が挟まれる。主人公とヒロインの描写は結構あっさりしていて、主題はあくまで辞書編集らしい。それはそれで面白いんだけど、人間関係はどろどろしたり深掘りしたりしないのでそういうものを期待すると少々肩透かしを食うかもしれない。
松本先生が語る「言葉とは、言葉を扱う辞書とは、個人と権力、内的自由と公的支配の狭間という、常に危うい場所に存在する」という言葉が印象的だった。気軽に情報発信出来る反面刹那的でタイパが求められる今、正しい言葉を使おう、正しく伝わる文章を書こう、と思う人がどれだけいるんだろう。世の中に溢れる文章に対し、正しく意図を読み取ろうとする人がどれだけいるんだろう。この小説が売れ、映画化もされた意味はとても大きいと思う。
まさか辞書編集の小説で泣けるとは思わなかった。世の中は、こういう変態的で献身的で執着的な人が支えているんだろう。