竹内まりやがマイブームです。プロモーションでラジオやらTVやらでやたらと耳にする機会が多くて。先日もNHKのCoversで竹内まりや特集をやっていて、クレイジーケンバンドすげーな。横山剣が歌うとあらゆる楽曲がクレイジーケンバンドになるな。
で、改めて竹内まりやを聴いているんだけど、シングル・アゲインとか、駅とか、告白とか。昭和歌謡的でしみじみと聴いている。
とは言うものの、僕は恋愛経験が豊富という訳でもないのに何故こんなにもしみじみしてしまうのか、というと、恐らく感受性とか共感性が極めて高いからなんだろう。小説や映画、コミック、はてはゲームまで、その世界観に没入してしまって涙してしまう。過去にはポケモンの映画とか、クレヨンしんちゃんの映画、アンパンマンでも涙した事が有るし、RPGをプレイしていて途中で挫折すると世界を救えなかった後悔に苛まれる。
そんなとんでもない感受性の持ち主だから、竹内まりやを聴くとその世界観に没入してしまい、かつて付き合った女性が今でも密かに恋慕を抱いているのではないか、という錯覚にみまわれる。だけどそれは僕だけじゃない。YouTubeのコメント欄を見ろ。そういう過去に囚われた男性諸氏が沢山書き込みしている。すげーな。みんなそんなに熱烈な恋愛してんの?
と、いうところでふと気付いたんだけど、あれ?書き込まれたコメントって男性多くね? 女性側の共感コメントってあんまり見掛けない気がするんだけど。
竹内まりやがあの声で切なく歌い上げているから錯覚しそうになるんだけど、あれって実際どうなんだろう。よく恋人と別れた後は女性は上書き保存、男性は別名で保存って言われるけど、隣の車両から横顔を眺めただけで涙が溢れる様なものなの?
それは人(女性当人)によるとか、相手(かつて付き合っていた男性)によるとか、自分の置かれた環境や状況によるとか、一概には言えないんだろうけど、何となく「男性受けしそうな情景」を歌に込めている様な気がする。と言うよりは、当時の時代なのかも。
どれだけ沢山の人と付き合ったかとか、どれだけ沢山のセックスをしたとかではなく、どれだけ相手の心の奥底に残れるか、なのかもしれない。と竹内まりやを聴きながら思った。それが最大の承認欲求なのかもしれない。