シングル スマイル

目指すのはジャンガリアンな生き様

藁を持たないわらしべ長者

 

 

 

まるでわらしべ長者みたいだ。

 

 

Tさんとは随分と長い付き合いになる。といっても親密な間柄という訳でもなく、頻繁に会う事も無く、年齢も少し上という事もあり友人というよりは知人に近い。

そもそもの出会いは僕が二十歳そこそこの頃になる。本屋で立ち読みしていた所に声を掛けられた。僕が当時乗っていたバイク(ヤマハXJ750E)を見て、要らなくなったら譲って欲しいと言う。突然知らないおじさんから声を掛けられて驚いたものの、僕としてもそのバイクをとても気に入っていた訳ではなくむしろ金が無かったので渋々乗っていた様なものだったから、良いですよと乗り替える際にタダ同然で譲った覚えが有る。それで終わるはずだった。それが、僕が転職で入社した会社でそのTさんも偶然働いていた。会社でバイクに乗っている人はそれ程多くなかったので、社内で会えば時々話をしていた。バイクの話以外でも、象鼻山から南宮山まで縦走路が有るというのを教えてくれたのもTさんだ。

その後、トライアルバイクが有るんだけど要らない?とか、125のスクーターが有るけど要らない?とか、カブのエンジンが掛からなくなったからあげるとか、思い返せばなんだかんだと色々貰っている。トライアルはタダだったけどかなりガタが来ていて結局エンジンまでOH(しかもイタリア製で部品の入手が非常に困難)、スクーターもタダで外観は綺麗だったけどこれも煙を吐いてエンジンOH、カブはエンジンが掛からずすったもんだと修理したのでそれなりには苦労している。とはいえカブは最終的に今乗っているバイクの下取りに使ったし、カブが無ければ買えなかった。まるでわらしべ長者の様だ。だけどわらしべ長者は最初に手にした「藁」を交換して長者になっている。僕はその「藁」すら持っていない。わらしべ長者と言うより棚から牡丹餅と言うべきか。しかし棚から牡丹餅と言うと何だかあんまり良い印象を受けない。どれもタダ同然で貰っているんだから良い印象もクソも無いんだけど。

 

その後僕は転職したしTさんも定年退職したので疎遠になっていたんだけど、先日Tさんから連絡が有ってまた「バイクをあげる」と言う。二つ返事で「貰います」と答えた。最近デカいバイクに乗れたら良いなと思っていたので、まさに絶妙なタイミングじゃないか。しかし最初は大いに喜んだものの、そのうち段々と心が重くなってきた。それはTさんは年齢的にも体力的にも大型バイクは乗れなくなり、今は体調もすぐれないからだ。これはつまり終活の一端なんだ。

Tさんは独身で子供も居ない。だから随分と縁が薄い僕にお鉢が回ってきたんだろう。しかし10年ほど前の車両とはいえ非常に綺麗な大型バイクなので普通にバイク屋に売ってもそこそこな金額になるはずだけど、多分お金の問題ではないんだろう。そういう僕自身、そろそろ終活を考えないといけないと思っている。高齢という程の年齢ではないけど既に中年から壮年に差し掛かり、いつ死んでもおかしくはない。病気かもしれないし、バイクや車の事故かもしれないし、登山で遭難するかもしれない。そうなった時に、所有しているバイクや車をどうしたら良いか家族に伝えておかなければいけない。バイク王で二束三文で買い叩かれる位なら、例え金にならなくても世話になった人や知人友人、価値が分かる人に委ねた方が幸せなんじゃないか。きっとTさんも同じ思いなのでは。そう思った時、その委ねる相手が僕だったという事、それはTさんは僕の事を信頼に値する人間だと認めてくれたという事、そんな評価をしてくれた人が老いていく事に、そして僕は与えられるだけで何もお返しが出来ていない事に胸が締め付けられる思いがした。

今まではTさんも元気だったから、何も考えず「ありがとう!頂きます!」と諸手を挙げて喜べたんだけど、今回はさすがに気が重い。素直に喜べない。昨年近しい身内が亡くなったり、両親もそろそろ終活を始めたりと、身近な大切な人が去りつつある中でTさんからの申し出を受けて、凄く複雑な気持ちになる。大型バイクなんて要らないんだよ。本当ならみんな元気で好きな事を好きなだけ楽しめたら、それで僕も嬉しいのに。でも、そうもいかないのなら縁もゆかりも無いバイク屋にはした金で引き取られるよりは、僕が引き取った方がTさんも喜ぶだろう。

 

 

 

とはいえ、これはデカ過ぎるんじゃないか。僕の車よりエンジンがデカい。こんな物置く場所が無い。 そもそも今現在3台(+原付1台)も有るのに、これ以上増やしてどうするんだ。