シングル スマイル

目指すのはジャンガリアンな生き様

僕がBBQに出掛ける理由

 

 

先日、「今度バーベキューやるけど来ませんか?」と誘われた。バイク仲間のAさんで、気の知れた仲間と定期的に集まってワイワイやってるそう。Aさんとはもう10年以上前に、バイクのミーティングと峠ツーリングで一緒になったくらいで、それ以来会っていなかったんだけど、ことけけさんも子供もう大きくなったから参加できるんじゃないの?と誘ってくれた。

僕は率先して人と絡みに行く様な性格じゃない。その昔、特別親しくなかったけど全く知らなくもない人から結婚式の二次会に呼ばれた事が有る。出席するのも微妙だなぁと思いつつも折角呼んでくれたのだからと出席して、

「おめでとう。呼んでくれて有難う。」

と言ったら、

「いや、人数合わせの為に呼ぶ人居なかったから」

的な事を言われて、それ本当の事でも本人に向かって言っちゃいかんだろ。と金払って微妙な気分で帰ってきた事を今でもよく覚えてる。乗り気じゃない時に無理して乗るもんじゃないとつくづく思った。

それでもBBQに行こうと思ったのは、Aさんはそういう人ではないと知っていた事と、今誘いに乗らなかったら僕はこの先誰とも関わらずにひっそりと独りで死んでいくんじゃないかと思った事と、僕の子供たちにも何か感じるものが有るかもしれないと思ったから。BBQに誘われたよ。一緒に行く?と、高校生になる下の娘に尋ねると「行きたい」と言う。でも部活が有って行けなかった。高校を卒業してもうすぐ19になろうかという上の娘はさすがにお父さんと一緒に知らない人とBBQなどやらないだろうと思いつつも一応聞いてみると、「行っても良いよ」と言う。

 僕は積極的に他人に絡んでいく様な性格ではないから、僕の周りには多くの人は居ない。子供たちも必然的に多くの大人を見てきていない。そんな子供たちに、こういう大人も居るんだよ、楽しむことに本気で取り組んでる大人が居るんだよ、というのを目の当たりにする事は、良い経験になるんじゃないかと思った。これが只のBBQならそれほど惹かれもしない。でも彼らは「BBQが目的」ではなく、美味い物を楽しく食べながらいかに「楽しく過ごすか」という事を目的にしているから。食に対するこだわり、楽しむ為のこだわりに関しては物凄くストイックで、河川敷でコールマンのツーバナーとか、そんなレベルじゃない。

うちの子も、来月からバイトを始める。初めてのバイトで、お酒も提供する様な飲食店で、多分今まで見た事もない様な大人を沢山見て、今まで経験した事が無い様な事を沢山経験する事になると思う。良い人ばかりじゃなく、不愉快な思いもすると思う。だけど、それを心配して排除してしまうのは違うんじゃないかと思った。今バイトで避けられたとしても、この際仕事やプライベートで様々な人と関わっていかなければいけない。そこでいちいち選り好みしていたら生活出来ない。嫌な大人の一面を見る事になるかもしれない。だけど、世の中そんな大人ばかりじゃない。こんなにも真剣に楽しもうとしている大人もまた存在するんだ、大人になるという事はもっと素敵で楽しい事なんだ、という事を知っておいて欲しかった。それを子供に実感させるには、僕一人では限界が有る。僕は僕なりに考えながら「多分ベストじゃないか」と思う選択肢を選んで生きているんだけど、それは他の人にとって正しい選択ではないかもしれないし、もっと良い選択肢が有るかもしれない。僕だけの思考や感性では偏ってしまう。だけど彼らは僕とは全く違う性格だったり感性だったりこだわりだったりを持っている。彼らと接する事で、子供にとって何かを感じるいいきっかけになったり、良い指標になってくれるんじゃないかと思った。

楽しい事はバーチャルな世界だけじゃなく、むしろリアルな世界にこそ存在するんだと。

 

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石臼のコーヒーミル。重さ14kg。こんな物が普通に有るあたり、只者じゃない。

 

ishikobo-yoshida.or.tv

 

 

 

最近ぼくは

 

 

 

ここの所山登りに行ってなくて、別に行けないほど多忙だった訳でもなく、ただ何となく乗り気じゃなかったというかモチベーションが上がらなかった。カチコチの氷雪の斜面をピッケル刺しながら登る様な緊張感は、もうしばらく味わえそうにない。普通ならこれからシーズン全盛、となるんだろうけど、じゃあ何処行くんだ?って考えた時に、心躍る行先が思い浮かばなかった。

それに加えて、動かないバイクを貰って修理に没頭してしまったりして、何となく週末をやり過ごしてしまった。合間にバイク動かしたり、一輪車の練習したり、子供と出かけたり、別にそれはそれで無駄ではないし、何も山に登る事だけがやらなければいけない事でもないし。

今日は一日快晴だった。職場から見える低山も、山容がくっきりと見えていた。何もギリギリの登山ばかりじゃなくても良いんだけど。たまにはゆっくり昼食をとってのんびり歩こうかな。そう言いながらまた道が無い様な山目指しそうな気もするけど。

 

 

 

苦労は買ってでも

 

 

 

奥さんはとある施設の受付みたいな仕事をしているんだけど、耳を疑う様な人々の話をよく聞く。その度に、世の中には変わった人が居るんだなって思ってたんだけど、先日は「券売機でチケットを買わずにわざわざカウンターに買いに来る客」という話を聞いた。決まって年配の人らしい。よくサービスエリアやショッピングモールのフードコートとかに有る様な券売機だけど、そこは大人〇〇円/子供〇〇円の2種類しかない。もう「大人」ボタンの一択しか無い、迷い様が無いのに、「分からん」と言ってくるらしい。普通に考えれば券売機で購入した方が遥かに早くて簡単で間違いが無いのにも関わらず。

これは一体どういう事なんだろう?って考えてしまった。僕が思う「普通」とか「常識」とか、そういう範疇じゃない。思うに、「考える事を放棄してしまった人たち」なんだと思った。まず自分で考えたりアクションを起こしたりする前に、とりあえず誰かにやってもらえば良いや的な。そしてそういう人達は往々にして声と態度がデカい。迷惑だからやらざるを得ない状況にしてしまう。そしてまた「誰かにやってもらえば何とかなる」という経験を1つ重ねていってしまうんだろう。決してそういう人達ばかりじゃない。だけど、声と態度が大きい人は目立つ。世の中がそういう人だらけみたいな印象になってしまう。ほんと、声と態度がデカければ何でも通るという風潮はやめて欲しい。

 先日も格安SIM(MVNO)に対する消費者の苦情が多くなっている、というニュースを見かけたけど、全く持って納得。券売機でチケットも買えない人(それに類ずる人たち)が、スマホの設定など自分で出来る訳が無い。だから誰か(店員)に作業を押し付けたいんだけど、格安スマホは実店舗が無いケースが多いから、押し付けられない。という様な事なんだろう。料金が安いのには理由が有る、それは過剰なサービスを省いているからで、つまるところ自分で面倒を引き受けるという事なんだ、というのは少し考えれば分かると思うんだけど、それは知った事じゃないらしい。考える事を放棄すると、理論的な思考は出来ないから。

世の中はどんどん便利になっていく。サービスも過剰になっていく。楽で便利なのに、わざわざ面倒で苦労する様な事は進んでしたくない。だから相当意識して行動しなければ自堕落になっていく。そして、無知で無力な大人が量産されていく。自分で考える事、自分で決断する事を放棄しちゃいけない。「若いうちの苦労は買ってでもしろ」という諺があったけど、今は「歳を取ったら苦労は買ってでもしろ」と言い換えた方が良いんじゃないかと本気で思う。自戒も込めて。