シングル スマイル

目指すのはジャンガリアンな生き様

当たり前のこと

先にも書いた通り、「速く走ることが偉い」と言ってるんじゃない。その逆で、速く走れない所、速く走るべきではない所では、自分で安全が確保できるまで速度を落とすべきだってこと。そんな事は言われるまでも無く当たり前のこと。でも、その当たり前のことが出来ているだろうか。
以前、バイクのレースに出ていた。素人の草レースとはいえ、レースはレース。いくら自分がヘタクソでも、1つでも順位を上げたいと思うのは人の常。始めた頃はただひたすらガムシャラに走り、転倒してばかりでリタイヤする事も多く、ペアライダーから「お前とは組みたくない」と言われたりもした。そんな時、僕のバイクの師匠から、「何処でも速く走ろうとするからいけないんだ。」と言われた。コースはストレートも有ればタイトなコーナーも有るし、急激な上りも、落ちるような下りも、振り落とされそうになるウォッシュボードも有る。しかも時間が経過するにつれマシンが通過するラインは掘られてギャップができ、刻一刻と路面状況が変化していくし、自分の体力も集中力も低下していく。それなのにスタートしてから全て同じペースでコースを走りきれる訳が無い。速度が出せる所はキッチリとスロットルを開け、速度が出せな所は充分に減速する。例え周りのライダーが自分より速い速度で走り抜けて行ったとしても、自分のレベルに見合う速度まで減速する。そう、それは当たり前の事で、何も改めて言われるほど特別なことじゃない。だけどレース=速く走らなければいけない、という思い込みは、そんな当たり前の事すら判断出来なくしてしまう。その一言を聞いてから、僕は随分と転ばなくなった。
それは、何もレースという特殊な環境下だけの話じゃない。一般道を車で走るのも同じこと。いや、周りの人が全て同じ目的で走っている訳でもなく、失敗(他人を巻き添えにする事故)出来ない分、レースよりも一般道を走る方が遥かにシビアかもしれない。家を出てから目的地に着くまで。出先から自宅に戻るまで。いくら一時的に速くても、ゴールにたどり着けなければリザルトは残らない。それは、絶対に失敗が許されない過酷なレースと同じ。
例え素人の草レースでも、学ぶことは多い。バイクを直し、今年は参加できるように。当たり前の事を忘れないように。