シングル スマイル

目指すのはジャンガリアンな生き様

子供

奥さんが、子供を叱っている。下の娘が「はい。ごめんなんさい。」と、ハッキリと謝った。それを見て僕はビックリして、そして少し心配になった。
いつも謝る事を頑なに拒んだり、ふてくされたりしていたのに。奥さんに尋ねると、「幼稚園で叱られてるからじゃない。」と言う。娘は「いつもいっぱい『ごめんなさい』って言ってる。」と言う。娘を受け持つ幼稚園の先生は厳しい人だとは聞いていたけれど、ご飯を食べるのが遅いとか、行動が遅いとか、わがままを言うとか、そういう事でいつも注意されてるみたいだ。
悪い事をして叱られるのは仕方が無いこと。共同生活の中で先生も躾の為にやっている事だと思う。でも、物事の善悪というのは立場や見方を変えれば簡単に反転してしまうものだし、「良い」「悪い」の2つに分類出来ない曖昧な物事だって世の中には沢山ある訳で、例えばご飯を食べるのが遅い事にしても、みんなと同じに出来ないから悪いと取るのか、その程度の事で厳しく言わなければいけないゆとりの無さを憂うのか。共同生活を行うのだから、一人だけ飛びぬけた事をするのは注意されて当然ではあるけれど、幼稚園児相手にどこまで厳しく言えるんだろう。
結局、全て大人の都合なんだ。自分の思う様に物事が進まないと、誰だって苛立つ。全然言う事を聞かないよりも、素直に「ごめんなさい。」と言う方が大人にとっては都合が良い。でも、優位な立場を利用して全て意のままに行動させるのは、子供と何も変らないし、そもそもごり押ししている大人の意見が必ずしも正しいのかどうかも分からない。得てして、大人は自分の意見は正しいと思いがちなもの。子供に「ごめんなさい。」と言わせるのは簡単だ。でも、「ごめんなさい」と言わせる事が目的ではないし、それで全て解決する訳じゃない。どうして叱られるのか。何がいけなくて、どうすれば良いのか。ちゃんと説明して理解させなければ、ただうなだれて「ごめんなさい。」と言っていれば済むと思われてしまう。感情的になってはそんな事は出来ないし、冷静で客観的に多角的に物事を捉え、時には子供の目線に立って見なければ、幼い子供を諭す事なんて出来やしない。本当に大事なのは、否定する事ではなくて認めてあげる事だと思う。
好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。理屈じゃなくて、子供はもっとわがままで奔放なものだと思う。「ごめんなさい。」と、しおらしく謝る娘を見て、僕は無性に悲しくなった。僕が望んでいるのは、そんな事じゃないんだよ。子供が子供らしく居られるように、もっともっとたくさん誉めて、たくさん抱きしめて、認めてあげたいと僕は思う。