ブログの横に今話題になっているサイトなどが表示されるのだけれど、そこに「鉄道模型を捨ててから夫の様子がおかしい」というリンクが。鉄道模型といえば趣味というのは容易に想像できるけれど、その後「夫」がどう「おかしい」のか気になった。キレたんだろうか? 危ない方面に走ったんだろうか? 笑える話なんだろうか? 気になってリンク先を見ると意外な結末で、でも色々勝手な意見が飛び交う中、僕も「夫」と同じ様になるだろうな、というのが想像できた。
趣味とかコレクションとかそういう事ではなく、自分にとって大切な物(必要な物ではない)に順番を付けたとして、その1番目の物が自分の意志とは関係なく突然消える。それじゃあ2番目の物が繰り上がって1番になるかといえば、そうじゃない。1番目は空いたまま。月日が経てば順番は入れ替わるし、繰り上がりもするかもしれない。でも、無くなりました。はいそうですか。という様に簡単に大切な物の代わりを補える訳じゃない。やりたい事や、他の欲しい物を極力我慢しながら大切にしてきた物を否定されたとしたら、他の物などどうでも良くなるのも分かるし、それは金銭で解決できるものでもない。
奥さんがTVの視聴者プレゼントに応募ハガキを出した。新発売の軽自動車だ。そんなの当たるはずが無いんだけど、可能性が全くゼロという訳じゃない。万が一当たるかもしれない。当たったとしたらどうなる? ウチには2台の車が有る。普段奥さんがメインで使う普通車のコンパクトカーと、僕がメインで使う軽トラック。ウチは5人家族だから、軽自動車をメインには出来ないし、新車購入後3年未満の乗用車と、既に10年落ち10万km超えの軽トラとでは比べるべくもない。必然的に軽トラが入れ替えられることになる。
軽トラはバイクを運ぶ為の車だけれど、これも僕には大切な物でもある。でも、奥さんには不要な物でもある。趣味(バイク)は認めるけど、軽トラが必須か? 本当にバイクを運ぶ必要があるのか? それでも僕は自分なりに必要最低限に抑えてきたつもり。元々は金が掛かるピックアップトラックだった物を、奥さんが免許を取ったのを機に中古の軽トラックに替えた。維持費は半分以下になる。代わりに奥さんには、奥さんの気に入ったコンパクトカーを買った。その後買い替えを経て今の乗用車になったのだけれど、都度乗用車は奥さんの意向に沿って選定し、それについて僕は何も言わなかった。僕にはバイクが有る。そして軽トラがある。だから僕は何も言わないし、買い替えに疑問が有っても最大限譲歩してきた。
視聴者プレゼントなんて当たらないから心配要らないって。そういう問題じゃない。奥さんは軽トラックに理解を示してはいなかった。僕の精一杯の譲歩にも。それが悲しくて、虚しくて。理屈じゃないのかな。それとも僕のワガママなのかな。
リンク先のレスは、鉄道模型を処分した奥さんに対する感情的な非難ばかりで、離婚しろとか、自殺するとか、不毛で無意味なものばかりで前向きな意見など無くて、悲しくなった。逆に「夫」は良くできた大人だと思った反面、「大人であること」も悲しいものだな、と思う。
休日は子供を優先して僕の趣味は譲歩する。そして譲歩し切った車も。大切なものを譲歩していって、なんだか僕はもう全ての物がどうでもよくなったよ。