僕は独りで過ごすのが好きだ。趣味の登山や自転車はほとんど独りだし、バイクはかろうじて他の人と出掛ける事が有るけどそれもほぼ師匠のSさん(またはSさん繋がり)位だ。Sさんは僕と趣味嗜好が合うスーパーレアな★5の人だからであって、他の人なら自分から進んで行動を共にする事はない。友達と出掛けたり、呑みに行ったりする事もほぼ無い。それで充足している。でも、僕が独りでも楽しめるのは、僕が独りではないからだ。帰る家が有り、共に暮らす家族が居るからだ。
結婚生活はバラ色ではないけれどそれなりに良いものだ、という事は以前も何処かで書いているし、子供たちにも示してきたと思う。それでも子供たちは「結婚は無理ゲー」と言っている。周りでも結婚しない人、結婚しても離婚する人は多い。あぁやっぱりな、という納得感の有る人から、まさかあの人が、という意外な人まで。離婚はしていなくても、夫婦間で不満や問題を抱えている人も多い。家庭円満な人ってどれくらい居るんだろう。僕は片手程度も思い浮かばない(知人友人が少ないというのも有る)。だから、わざわざ面倒を抱え込んでまで結婚するメリットはない、と考えるのも無理はないのかもしれない。
それでも、僕としては良かったと思ってる。うちの奥さんは割と思った事を率直に言う人なので、僕の至らなさを指摘してくる。大人になってからダメな事を「ダメだ」とハッキリ言ってくれる人はなかなか居ない。あまりにも辛辣過ぎてヘコむ時も有るけど、一晩寝たら大抵は立ち直れるし、冷静になって客観的に考えれば嫌な事を言われるのは僕の方にも何らかの問題が有るからだ。
奥さんと僕は性格も感性も全く違う。僕が思いもよらない事を提案したりする。大事な事を決定する場面で意見が合わないというのはとても困るけど、幸い重大な局面で意見が合わなかった事は無かった。小さな衝突は良く有るし、お互いに「自分が譲歩してやってる」と思っているんだろうけど。
離婚原因の最たるは「性格が合わない」事らしい。でも、本当にそうだろうか。そっくりの性格、全く同じ価値観の人なら上手くいくんだろうか。確かに、衝突はしないかもしれない。でも全てが予定調和だし、全く同じという事は自分がダメな部分も同じだから余計に助長されてしまう。新しい発見、思いもよらない展開、まさかな選択、そういう自分の想像の斜め上を行く様な事は無く、大きな成長は望めない。性格や価値観の違いは自分が知らない物を教えてくれて、価値観を拡大し、視野を広げる。もちろんポジティブな事ばかりじゃない。理不尽であったり単に感情的な言動もある。人間だから。そういう事も受け入れたり、受け流したり、考えたり悩んだりして何とか折り合いをつけようとする事も学びであり成長でもある。僕独りだったら、今の僕は有り得ない。
当たり前だけど、性格や価値観が違えば当然意見の相違や衝突は絶えない。そこを乗り越えるには、一歩引いた視点で客観的に理論的に多角的に考察出来なければいけない。「自分の意見が絶対だ」と思っていては衝突は避けられない。離婚する人は、相手を見下して自分の意見を押し通そうとしていないだろうか。ちゃんと1人の人間として対等な立場で接していただろうか。筋の通らない言動をする事も有るだろう。それを単に「間違っている」と切り捨てる前に、筋の通らない言動をさせている要因が背景に有るかもしれない。思い込みや決め付ける前に、多角的に考察する事は大切だ。そんな考察が出来る人は周りを見てもほとんど居ないし、それが出来るなら離婚していないだろうけど。
もしかしたら、うちの奥さんじゃなくても僕は結婚出来ていたかもしれない。でも、今の僕には至っていなかっただろう。もっといい加減で我儘で子供じみていたと思う。僕は今まで育てられ、価値観を広げてきた。そりゃ良い事ばかりでは無かったけれど、昔からずっとコンプレックスを抱えてきた僕は今ようやく「こんな自分でも良いのかもしれない」と思える様になった。
何故こんな事を書いているのかというと、とある夫婦が離婚したからだ。僕には無いものを持っていて、逆立ちしても敵わないと思っていた。それでも離婚してしまうんだ。いつ何がどうなるかなんて分からない。今日も子供たちは普通にリビングでごろごろしている。でも、こんなに普通の家庭って滅多にないのかもしれない。それはとても貴重な事なのかもしれない。