先日、子供をもつ事の意義というか1つの考え方の様な記事を読み、「人による」とコメントを残したら思いの外支持された。結婚云々や出産云々育児云々という話題はもう食傷気味でコメント以上の事を言うつもりも無かったんだけど、折しも我が家で子供に関する事で奥さんと諍いが有ったのでもう少し深堀りしておこうかと思った。諍いという程の事でもなく、食い違いとも違う。思考や価値観の違いみたいなもの。
僕は自分が思う夫、父親像を自身で具現化する要務めてきた。
例えば子供に対しては
・相手の話を聞く
一方的な押し付けの意見ではなく、例え拙い意見でも子供の話に耳を傾ける様心掛ける。
・頭ごなしに怒らない
子供が失敗や間違い、何かネガティブな事が有ったとしても、頭ごなしに怒らない。感情的にならない。子供なりに考えがあってやった場合もあるから、そこを汲み取らないと拗れるし、以降は親に対して距離を取られる。
・子供の目線で話す
小さい頃は屈んで物理的に子供を同じ目線で話す事で威圧感を与えない様にする、という以外にもう1つ内面的に、子供の立場ならどう思うか、どう考えるかを意識する。
・子供の価値観を否定しない
子供の好きな物、好きな事を否定しない。大人から見れば子供の好きな物とか重視するポイントとかってガラクタみたいに価値が無い様に思えるけど、経験差も有るし自分とは異なる人格だから当たり前。自分の価値観を子供に押し付けない。
・話しやすい雰囲気にする
不機嫌であったり高圧的であったりすれば、大人でも話しかけにくい。子供なら尚更。それで「子供は何も話してくれない」と言っても当たり前だ。なるべく穏やかに話し、不機嫌な時でも感情は前面に出さない。
・子供に対しても謝る
大人でも完璧で間違いが無い人など居ない。間違いが有れば子供に対しても謝る。親と子供は対等な立場ではないにしても、一個人として尊重はする。
奥さんに対しては
・相手の意見・価値観を否定しない
子供に対してと同様。
・自分で出来る事は自分でする
家事育児は奥さんがやるもの、という訳では無い。自分で出来る事は自分でやるし、少なくとも自分の事は自分でやる。大変な事、面倒臭い事は相手も同じなんだから、自分で出来る範囲で率先して引き受ける。
・感情的にならない
意見の食い違いや、自分の意見を否定されても感情的にならない。
もっと細かい事は多々あるけど、こういうスタンスが自分にとっての「大人」であり「良い父親」だと思ってきたし、自分が子供の頃に大人にされて嫌だった事の裏返しでもある。ただ、それらがどうやって僕の中に形成されたのか分からない。僕の父親は比較的穏やかな人だったけど、僕が思う理想的な父親像とは少し違う。周囲にそういう「大人」な大人が居た訳でも無い。だから自分の中にある理想像が、いつどこでどうやって形成されたのかが分からない。共感性とか感受性が普通の人よりも強く、こういう言動に対して相手がどう思うか、が何となく想像出来てしまうという事も影響しているかもしれない。
そういう「大人像」は普遍的なものだと思っていた。でも、それは僕が勝手に思っているだけで世間の大人全体に共有されている価値観ではなかった。「結婚したい」「子供がほしい」「子供が可愛い」と思えるのは、それはその人の価値観であって、大人がみんな有する感情じゃない。家でゲームをするのが趣味な人に「登山は良いよ」と言っても共感されるはずがないし、100m走が得意なランナーがマラソンを走っても能力は発揮出来ない。それらを好む人と好まない人はいくら理論的に説明しても相容れないものなんだ。先の記事のコメントで「人による」と書いたのはそういう理由で、この手の話は相対する意見はお互いに相容れないので不毛だと思ってる。
僕は思春期以降、コンプレックスを抱えて生きて来た。何か秀でた才能が有る訳でも無いし、身体能力も人並み以下で痩せこけて、積極的でも社交的でもなくウィットに富んだ会話も出来ない。もちろんイケメンでもない。僕が過ごしてきた思春期~大人の時代はバブル絶頂期で、男らしさが今以上に強く推される時代だった。「強い」か「面白い」が優とされる時代。おっさんが良く言う「若い頃やんちゃだった」という武勇伝は僕には1つも無く、破天荒さが語られる度に語るべき事が1つも無い僕は肩身が狭い思いをしてきた。つまり僕はあの頃の陰キャだ。バブルの頃の陰キャは今とは全く違う、時代の主流に乗れない掃き溜めみたいなものでもっと悲壮なものだった。
それが、今周囲の夫婦問題だとかネット上の夫婦、カップルの問題等を見聞きするにあたり、「あれ?もしかして僕はウルトラスーパーレアな★5キャラなんじゃないの?」と思った。理想的な夫像とされる項目はほとんどが当てはまる。当てはまらないのは稼ぎが少ない事くらいだ。今頃になって逆転した。
だからと言ってモテやしない。それは「良い夫像」であって「良い男」じゃないからだ。良い夫というのは結局都合が良い人でしかない。それは「良い夫」という条件で判断される事からも分かる。生活していく上でストレスを与えないパートナーであって、燃える様な恋愛対象の恋人じゃない。だから夫婦間でしかそのメリットは享受出来ない。それでも、多くの夫婦間の愚痴を見聞きする度に「僕ならもっと上手くやれるのになぁ」と思うし、もう少し評価されても良いんじゃないかとも思う。ただ、僕のような男性は多分他にももっと居るはずで、でもそういう男性は特に問題にならないから話題にもならず地味に埋もれているだけなんだろう。結婚生活を上手く送れている人は問題にならないからネット上には出てこないし、世間はネガティブな話題の方が食いつきが良い。
愚痴を聞く度に「何でそんな相手と結婚したんだよ」って思うけど、それは仕方が無い事なんだろう。好きになる相手というのは、多分無意識なうちに自分に無いものを相手に求めているから。そりゃ食い違うしすれ違うのは当たり前だ。その食い違いを冷静に話し合って摺り合わせ出来る程度には大人であって欲しいと思うけど、そんな人はついぞ見た事が無い。
とりとめのない内容だけど、誰も何も褒めてはくれないけど僕は相当頑張っているよって事だ。義母さんの事とか子供の事、奥さんの事を、事を荒立てずにでも目を逸らさずに着々とフォローするのは大変で、先日も心療内科の先生から「お父さんが倒れてしまいそうですね」と労われた。自分で贔屓する訳では無いけど、僕じゃなかったら家庭が破綻していたかもしれない。かつて陰キャだった僕は、今USR★5の能力を遺憾無く発揮している。