シングル スマイル

目指すのはジャンガリアンな生き様

早食いと価値観

 

 

 

仕事の昼休憩でカップ麺をすすりながら、「何でこんなに慌てて食ってるんだろう?」って思った。

 

ふと、子供が小さかった頃を思い出した。子供が小さかった頃は、何かと気を遣った。子供はお腹が空いたら我慢出来ないし、一人では上手に食べられない。そういう子供に対して奥さんがイラついて険悪な雰囲気になるから、外出先で食事する時は僕が食べる物はとりあえず何でも良い、僕が補助して子供を優先的に食べさせる、落ち着いたら自分が慌てて食べる(子供の残り物も含め)、そんな感じだった。フードコートでは、本当はアレが食べたいな、と思っても手間を省くために子供と同じ店の物を頼んでいた。子供が成長して自分1人でハンバーガーを食べられる様になった時は、本当に感慨深かった(色んな意味で)。普段何気なく食べているハンバーガーだけど、こぼさず綺麗に食べるのはかなり難易度が高い作業だ。

そんな癖は今でも残っている。外食する際に「何が食べたい?」と尋ねられたら、「何でも良いよ」と答える。そう答えると「考えるのはいつも私ばかり」と怒られる。だけど、過去にした自分の提案はことごとく却下された。それならもう何でも良いと答えるしかない。相手の意見をのむつもりが無いのなら、せめて「AとBとCならどれがいい?」とか選択制にしてくれたら良いのに。

そんな事は日常の些末な出来事でしかない。明日になれば忘れている。だけど、それが繰り返され、積もり積もれば弊害も当然起こる。些末な事ならその都度言えば良いじゃないか、と思うかもしれない。当然だ。夫婦なんだから、家族なんだから、話せば良い。でも、いくら穏やかに話したり提案したり指摘したりしても、逆切れされるか、険悪になるか、すねられるか、そのどれかになる。自分に対してネガティブな意見は言ってはいけないらしい。だから建設的な話し合いにはならなかった。四六時中顔を突き合わせなければならない家族と険悪な雰囲気のなか暮らすのはかなりのストレスになる。それなら平穏に暮らす為に流せる物事は流して余計な事は言わない様にしよう、と思ってしまうのは仕方が無いだろう。

結婚しなきゃ良かった、とは思わない。今の自分があるのは、今までの生活があるからだ。ただ、もう少し良いやり様は有ったかもしれない、とは思う。僕は自分の親を見習いつつ一部は反面教師にし、奥さんに対してもリスペクトする部分と反面教師にする部分を見分けながら生活してきた。特に子供たちに対しては、穏やかに、尊重し、価値観を認めてきたつもりだ。こちらの意図する行動を取らなかった時も、対話もせずに頭ごなしに否定する様な事はしなかった。子供たちなりに自分の考えが有っての事で、僕が求めているのは僕のコピーや操り人形ではなく、自立した一人の個人としての子供たちだからだ。

今の時代、結婚に対してネガティブな風潮で、結婚しても離婚する確率は高い。離婚の原因は性格の不一致、価値観の相違、というのが定番だけど、本質はそこじゃないと思う。そんなのは違って当たり前だし、違うからこそ良いという一面もある。重要なのは、「違った時にちゃんと話し合える」かどうかだ。自分の意見を押し通すのではなく、お互いの意見を摺り合わせた最適解を求める作業が出来るかどうか。でも、そういう事が出来る人はあんまり見た事が無いので、やっぱり結婚は難しいのかもしれない。

 

そんな風に思えるのも、二十数年間結婚生活を送ってきた今だからなんだろう。20代でこんな思慮は出来なかった。なので、もしちゃんと話し合いができる人と結婚していても、僕はやっぱり早食いしてそうだ。