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月がきれい で感動する心情は普遍的なのか

 

 

年末年始の休みは元旦と二日の二日間だけで、子供のバイトの送迎、子供の買い物、実家の挨拶で終わってしまって、登山とか自転車とかバイクとか趣味に費やす時間は無かった。そんな僅かな休日の合間にネットで動画を見ていたら、あなたへのおすすめ動画に「月がきれい」というアニメーションが出てきた。

tsukigakirei.jp

新年初回のブログがアニメーションネタかよ。しかも中学生の恋愛モノってドン引き。って思わなくも無いんだけど、ちょっと待って。それ誤解。いや誤解じゃないかもしれないけど、それだけじゃないのよ。


で、2017年に放送されたアニメらしいんだけど、へー知らなかったな。この辺りでは放送されなかったのか、そもそもTVアニメ見る余裕も無かったし。と、再生をクリックして思ったんだ。ヤバい、これはヤバいやつだ。
内容は何てことない。中学生の男の子と女の子が惹かれ合って、拙い恋愛をぎこちなく進展させながらも本人達にはどうしようもない理由で引き離される、というもの。恋愛モノでは超ベタな設定で、「耳をすませば」もそうだし、「秒速5センチメートル」だってそうだった。だけど、いきなり物凄い勢いで引きずり込まれる。
何で?って、それはもう中学生の拙さとかやるせなさとか、そういうものが見事に緻密に描写されているからだ。何も特別な事は無い。嬉しくてベッドで悶えたり、やるせなくてベッドで悶えたり、いてもたってもいられず蛍光灯の紐スイッチでボクシングしたり、緊張して上手く話せなかったり、手を握る事さえ勇気を振り絞らなきゃいけなかったり、分かってる。分かってるんだけど嫉妬せずにはいられなかったり、何だこれ。身につまされ過ぎて苦しくなる。「いや、そこはああ言うべきだろう」とか「そこはこうするべきだろう」って場面も多々出てくるけど、思春期のあの頃に理想的な言動なんて出来る人の方が少ない。だからあれで良いんだ。むしろあれ程至らなさを再現出来るのが凄い。美しい背景と滑らかで自然なモーションと共に、そういう機微を見事に表している。
リアリティで言えば「耳をすませば」もそうだけど、あれはまだ良かった。僕とは共通点が少なかったし女性側が主人公だったから感情移入し過ぎず客観視出来た。「秒速5センチメートル」は背景のアニメーションの美しさに圧倒され、切ない展開と共にかなり引込まれた。だけど「月がきれい」は更に現代のリアリティを追求してくる。主人公は地味で運動もダメで何なら勉強の成績も特に良くない。周囲に対して特に秀でた点がまるで無い、圧倒的多数だ。それでも何とか頑張ろうとする。中学生だから金が無いというのも切実だ。

 

だけど、この中学生の恋愛モノに引込まれるのはどうなんだろう?今年で50になるオッサンがこんなアニメに見入っていて良いんだろうか? 凄い背徳感というか何となく口外してはいけない様な気がしたのでこっそり内に秘めておこう、と思ったんだけど、動画のコメント欄を見て少し気が変わった。コメント欄は好意的なコメントが大半だった。そしてそこには中学生なのか高校生なのか、とにかく主人公らと同年代の人たちが「良かった」「泣けた」と書込みしている。それを見て不思議に思ったんだ。
僕が中学生の頃は、今からもう35年も前の事だ。10年で激変する世の中で、35年なんて太古に等しい。それなのに現代のアニメーションを見て、現代の少年少女と一緒になって当時の自分とオーバーラップさせている。もちろん僕の思春期の頃にはスマホも携帯も無かったけど、同じような事で悩み、同じような事で喜び、同じような事で泣いていた。今は草食とか、恋愛はコスパが悪いとか言われているけど、それは一部の人で、当たり前だけどみんながみんなそういう訳じゃないんだ。太宰を引き合いに出したりする辺り、そういう心情って普遍的なものなのかもしれない。「耳をすませば」は1995年公開、「秒速5センチメートル」は2007年公開だから、以前より繰り返されている内容だし、僕が知らない映画やアニメ、小説も多々有るだろう。

ネット社会の今、コミュニケーションの手段は多様化してレスポンスはリアルタイムになり利便性は桁違いに向上したはずなのに、承認欲求に飢えている。だけど、不特定多数の同意や共感よりも、たった1人だけ自分にとって大切な人が隣で「そうだね」って言ってくれる事の方が遥かに大切だし勇気づけられる。逆に否定されるとこの世の終わりの様な気分を味わうけど。

 

そもそも、僕らは一体どうやって自分の恋愛観を構築してきたんだろう?漫画なのか小説なのかドラマなのか友達なのか。今はネットなのか。普遍的とはいえ、そういうメディアに対して共感したり出来なかったりするのはどうしてなんだろう。僕はアニメーションに限らずこの類の物にはまるで弱い。家族で同じ映画を観ても僕だけぼろぼろ泣いてたりするし、こんな純粋無垢なストーリーなど全然面白くないと思う人だって沢山居るはずだ。いい歳したおっさんが恥ずかしいなと思いつつも、それは僕の性格とか育ってきた環境というよりは、思考回路とか脳回路の構成とかそういうもっと体質的なものなんじゃないかと思う。

中村航の小説でも書いたけど、こういう内容で感動したり、共感したり、涙したり、もやもやしたり、心が揺さぶられる様な人はきっと幸せだと思う。多様化した世の中は幸せだ。何が幸せで何がそうでないかは人それぞれだけれど、僕の周りの大切な人たちが穏やかで幸せな一年であったら良いと思う。

 

追記

アニメーション制作にあたり、テーマやアプローチ、配慮した点などが詳しく紹介されている。脚本家が女性だったり声入れがプレスコだったりアドリブだったり、あの空気感はこうして丁寧に作られていたのか、と。

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