シングル スマイル

目指すのはジャンガリアンな生き様

親離れ子離れ 遠慮と出不精

 

 

 

「土曜日は用事無いから出掛けても良いよ」と奥さんに言われたけど、結局出掛けなかった。登山するには天気がイマイチだったというのも理由の一つだけど、家族が揃うなら家族と過ごした方が良いかなと思ったのも理由の一つだった。

会社の先輩が手帳に赤ちゃんの写真を入れていた。子供は既に大きくなっているのに、赤ちゃんの頃の写真。確かに3歳頃の自分の子供はどうしようもなく可愛い。容姿とかしぐさとか発する言葉とか、それは形容のし様が無いくらいに「かわいい」が凝縮されている。じゃあ大きくなったらどうなるんだろう?小憎たらしくならないんだろうか?と思い、「子供が大きくなっても可愛いんですか?」って尋ねたら、「その時々でそれなりに可愛い」という答えが返ってきた。子供が10代後半になり、女の子から女性に変わりつつある今、その意味が良く分かる。

一緒にコーヒー飲みに行ったり、ランチ食べに行ったり、買い物に行ったり、ポケモンしに行ったり、一緒についてきてくれる子供は大きくなった今でもやっぱりかわいい。3歳児の頃の様にハグしたり抱っこしたりするのはさすがにはばかられるんだけど、やっぱり愛おしくて、でもハグは出来ないから頭をなでて我慢してる。

だから、一緒に過ごせる時は一緒に過ごしておこうと思った。この先子供たちは就職して家を出ていくかもしれない。結婚して家を出ていくかもしれない。子供たちが自分の人生を歩んで行く為にはその方が良いと思っていた。むしろ率先して親元を離れていくべくだと。でもいざ実際に子供たちが居なくなると考えると、物凄く寂しくなるんじゃないかと思った。結婚なんて絶対に突っ伏して号泣してしまう。

改めてそう思った時に、あぁこれは子離れなんだ、と思った。僕は子離れ出来ていなかったんだ。独り暮らしした方が良い、とか、結婚して家を出るとか考えていたから子供に対して依存してるとは自覚していなかった。子供たちの事を思ってやっていた日常の行動は、実は自分の為にやっていた事なんだ。

子供たちが僕を頼る時は応えれば良い。即座に嫌な顔せずに。でも、わざわざその都度こちらから「出掛けよう」ってアクションを起こす様な事はしない方が良いのかもしれない。空いている時は独りで出掛ければ良かった。出不精で遠慮しがちな子供たちだから、遠慮しているのか本当に必要としていないのか良く見極めないといけないんだけど。まぁ、考え過ぎなのかもしれないんだけど。