シングル スマイル

目指すのはジャンガリアンな生き様

呼び覚ます

 

 

 

昨シーズンに近場のマイナーな冬山ルートを散策している時に、ふとそのルートを歩ている人の記事を見掛けて参考にさせてもらっていた。その人は今は沢歩きしているみたい。そこで、「昨今の人気の山は人混みで、とてもルートファインディングを楽しむ要素は無くて残念」みたいな感想が書かれていて、僕も丁度同じ事を思っていた。登山を突き詰めると、藪を漕ぐか、沢をやるか、二択になると聞いた事が有る。今はなるほど、と思う。

先週は、本当はジャンダルムに登りたかった。でも好天の週末で混雑が予想され、始発が7時と1時間遅くなったロープウェイ、さらに落石の恐れが有ってロープウェイまでの県道が夜間通行止めと、良い要素が何も無い。混雑する駐車場、やっと車を停めて準備したらロープウェイで並び、登山道でも渋滞。全然自由じゃない。

山歩きはもっと自由だと思っていたんだ。ふらりと出掛けて、ふらりと登って、面白そうなルートを散策して、稀に出会う人と一言二言会話を交わして。でも実際には歩きたい岩稜は立ち入り禁止で、テントを張れる場所は極めて限定されている。全然自由じゃない。もちろん登山がブームになった今、規制が無ければ自然も人もめちゃくちゃになってしまうのは目に見えているんだけど。

先週と先々週と山に登る事が出来て、晴天の週末に長い行程を歩けたのは良かった。でも、どちらも過去に歩いた事が有るルートなのでほぼ予定調和。どんなに厳しい行程でも過去に歩いた経験が有るから確実に見通しを立てる事が出来て、行けるか行けないか見極めつつ進む、あのヒリつく様な感覚には程遠い。ルートは間違っていないか。この先はどんな状況なのか。時間配分と残りの体力は余裕が有るのか。頼れるのも、判断するのも、自分自身しか無いあの研ぎ澄まされる感覚。

人気が無いマイナーなルートや、マイナーな冬のルートを好むのはその為。そこには圧倒的な自由が有る。選択するのは自分自身で、自由の裏返しには自己責任がのしかかる。誰にも頼れないし、誰のせいにも出来ない。この感覚は、多分みんなに受け入れられるものじゃないんだろう。登山が趣味の人でも、理解されるのは極一部でしかないんだろう。理解して欲しいとは思わない。便利で快適でぬるま湯に浸かっている様な日常の生活では味わう事が出来ないこの感覚。だから僕は独りで山に入る。

9月になって秋らしくなってきた。もう少ししたら、近くの低山のルートでもないルートを歩こうと思ってる。