シングル スマイル

目指すのはジャンガリアンな生き様

聖職者

 

 

父が病気で手術が必要になり入院する事になった、と母から連絡が有った。手術の時に付き添って欲しいと。立ち会ったからといって僕に出来る事は何もない。「頑張ってね。」と言って見送り、「大変だったね。」と言って出迎える位の事しか出来ない。ただ、母が随分参ってしまっているのと、役に立たなくても誰も居ないよりはまだ心強いかと思って仕事を休んで母と病院に行った。

 病院は朝から混雑していた。まず車を停める事すら出来ない。何とか車を押し込んで父が居る病室まで向かうと、物凄い数の患者と、物凄い数の医療関係者が右往左往している。ここは混雑具合が半端ない大規模病院で、ちょっと複雑な病気や手術となるとここに送り込まれる。そして様々な問題を抱えたおびただしい数の人達がここに居る。父の病状が分かったのは5月。それから外科手術を待つのに2ヶ月半掛かった。

父の手術は6~7時間ほど掛かる比較的重度の手術だけど、手術を待っている間も何組もの外科手術が行われ、その度に入ったり出たりしている。一体一日何回手術を行っているんだろう。外科医だけじゃなく、関わる看護師の数も膨大だ。そしてみんな忙しく行き来している。

怪我や病気は大変だ。それは当然だ。だけど医療関係者も大変だ。この人達は、一体何をモチベーションにこの過酷な労働環境に身を置いているんだろう。疲れたから明日にしよ、とか、面倒くさいから後回しにしよ、では済まされない案件を抱えて。便利で堕落し切ったこの世の中で、何でこんなに頑張れるんだろう。皆がみんな聖人君子ではないにしろ、不慮の怪我から怠惰な因果の病気まで、分け隔てなく。

僕らはそれを当たり前の様に享受している。病気や怪我をしても病院に行けば何とかしてくれる。でも、それって当たり前なんかじゃないんだ。この膨大な医療関係者によって支えられてる。怪我や病気、心の病まで救ってくれるのは医療関係者だ。これって現代の聖職者なんじゃないか。祈る事しか出来ない僕らに代わって、診断し、施術してくれる。

父を救ってくれて有難う。僕には「有難う」って言う事しか出来なかった。どうかその労力が報われます様に。